1.1 宮古湾出航



土方さんら、旧幕府軍の皆さんが、宮城県の宮古湾に立ち寄って蝦夷地上陸の準備を整え、そこを出航したのが1868/10/17のことでした。

このときの船は、回天、開陽、大江、鳳凰など。


乗り組み員(笑)を紹介しましょう。



衝鉾隊(400名)、伝習隊(歩兵隊225名+士官隊160名)、

彰義隊(185名)、額兵隊(252名)、一聯隊(200名)、砲兵隊(170名)、

遊撃隊(120名)、神木隊(70名)、陸軍隊(160名)、新撰組(115名)工兵隊(70名)、

会津遊撃隊(70名)、小彰義隊(54名)、海軍(650名強)、フランス人数名

因みに、遊撃隊である伊庭さんはこのとき横浜で潜伏中のため、残念ながら居ません;;悲しいですね。

関係ないですが、星恂太郎率いる額兵隊は、制服が赤で超格好いいです。

さて、蝦夷を目指すのは全部で3000名ちょっと。

土方さんは新選組のみんなと一緒に、大江丸にのりました。

さぁ、出航です。



海はかなり荒れていました。

土方さんとか船酔いしてたらうける。

大鳥さんは絶対酔ってますよね!!うん。

悪天候により、船たちははぐれてしまいます。最初に鷲ノ木に上陸したのは回天、19日の夜でした。

次の日の午前中に鳳凰と開陽、午後には土方さんの乗る大江が到着しました。

方向違いに行っちゃった船もあって、結局全艦到着は23日でした。

上陸も簡単なものではないんです。ボートの移乗失敗や転覆により、16名が命を落としています。



そうそう、この鷲ノ木には「榎本軍鷲ノ木上陸地跡」の碑があるようです。

しかしながら、榎本さんは船でそのまま函館港まで行ってしまうので、上陸しないんですがね。笑

行かれた際には是非!そして「土方」を加えてきてください。笑。

さて、そして上陸した旧幕府軍が進軍を始めたのは22日のこと。

「森」という場所から、二手に分かれることになります。

その名も「土方軍」と「大鳥軍」。なんか...どういうわけか絶対土方軍に入りたくなりません?笑。

大丈夫、大鳥軍も強いです。だって新撰組は大鳥軍ですから!!

大鳥隊は、伝習士官隊、伝習歩兵隊、遊撃隊、新撰組、砲兵隊の750余名。

土方隊は額兵隊、陸軍隊、守衛新撰組の400余名。

さて、どっちが早く五稜郭に着くでしょうか??笑







1.2 大鳥隊の動き



大鳥隊の動きは、上図の青い線です。

さぁ、大鳥隊出発です。

因みに、当時蝦夷地に残っていたのは蝦夷唯一の藩である松前兵、それから僅かの函館府兵でした。

新政府軍は、津軽、福山、大野の兵1000兵以上を送り込みます。

この新政府軍と大鳥隊との戦いが起こるのが23日深夜(2時頃)でした。

場所は「峠下」、図でいう二手に分かれた分岐点です。


といっても、大鳥軍は助けに駆けつけた形となるんですが。

実は、21日に、函館府への嘆願書を持った人見勝太郎が、30名ほどの仲間を連れて一足先に峠下を訪れ、宿泊していたのです。


大鳥隊は、駆けつけて敵を撃退しました。

かっこういいです。男です。 そして頭のいい大鳥さん。作戦を立てました。

部隊を二分して、新政府側の兵がとどまっていると思われる「大野」と「七重」を同時に攻撃する、というものです。

大鳥さん率いる伝習隊が大野村へ、人見さん率いる残り全部が七重村に向かいます。これが24日のこと。



24日の早朝峠下を大野村方面に進撃した大鳥部隊。

大鳥さんの予想は見事ビンゴで、午前7時頃、敵兵を発見!!

大鳥さん、予想的中おめでとう。

戦いは一時間ほどで終了。もちろん勝ちますよ。



一方人見部隊。七重村に敵が見当たりません。

実はこのとき、新政府側はいったん退いて、準備を整えていたんです。

そして午後2時頃、一気に攻撃を仕掛けてきます。

こちらの戦いは結構大きかったようで、日没までかかります。

しかし途中彰義隊の応援もあって、見事突破。

因みにこの戦いで、新撰組の16歳の隊士が亡くなっています。

さて、新政府側の敗走を知った函館府は、青森へと逃げます。

よって、七重浜で再び合流した大鳥隊は、26日に無人の五稜郭に入城。

ええ、そうです。土方さんより早かったんです/笑。

大鳥さん、誇らしかったんだろうなぁ。笑







1.3 土方隊の動き

土方隊の動きは、上図の黄色いルートです。

22日、土方隊も五稜郭に向けて出発します。

こちらのルートは簡単、海岸線を沿って歩くのです。

最初に言ってしまえば、こっちの軍には大きな闘争は起こりません。

どっちかっていったらその後起こる、野村利三郎と春日左衛門との一悶着のほうが面倒だったんじゃ…笑。

ただし、雪が酷かったんですよね;;足袋もない、傘も無いので相当つらかったようです。

凍傷の危険があったようですよ。

土方さん、足怪我してたのに大丈夫でしょうか??

このときの辛さを、額兵隊の星恂太郎は日記にこんな風に書いています。


北風が激しく、雪と雨は混じって降っているのに、全員が僅かにしか服を纏っておらず、足袋も無く傘も無く、体中が濡れ、寒さと飢えで死んでしまいそうだった


うわー;;すごいですね。

想像するだけで背筋が…


土方隊は海岸沿いを、砂原、鹿部(すいません地名はいってませんね;;二つとも黄色い線上です)

に布陣して進み、24日には「川汲」まで行きます。



と、ここで小さな戦い(?)が。

川汲から偵察のために派遣された額兵隊の数名が、同じく偵察に来ていた新政府側の兵士に攻撃をうけます。

あわや戦闘!?と思うも、銃撃を返したら敵さん逃げてしまいました。

あーあ、やる気が消化不良ですね。

因みに最初に撃たれた兵士も、指を怪我したのみでした。



そんなわけで、26日には湯ノ川に到着。もう五稜郭はすぐそこです!!

いざ出発!と、そのとき。

野村利三郎が、宿敵(笑)春日左衛門に食いつきます。

抜刀騒ぎにまでなっちゃうんですね;;

あぁ、春日さんは「牡丹人」といわれるくらい美形だったそうです。どうでもいいけど。

出発間際にトラブりましたが、土方さんのお怒りでその場はおさまり、26日夕方、土方隊も五稜郭に入城するのでした。