★大鳥圭介って誰?
誕生日
天保3年2月28日⇒1832年4月17日
播磨赤穂で生まれます。現在の兵庫県ですね。代々医者の家です。
14歳にて閑谷学校(岡山県)に入学し、儒学や漢詩、医学を学びます。
その後は蘭学にはまってしまい、大坂・江戸と蘭学勉強のために回ります。
こんな頃から勤勉だったのか…見習いたいもんだ;;
が、ここにて人生の分岐点。
江戸にて医学より工学・兵学にはまってしまいます。
25歳の時には江川塾教授にまでなってます。教わってみたいなぁvV
ジョン万次郎に英語を教わったとき、榎本武揚と知り合います。
さて、彼の教え子には後の敵将となる黒田清隆や新政府で活躍する後藤象二郎なんかがいます。
数々の訳本を出版、日本で初の金属製活版を作っちゃったり。彼の学力には脱帽ですね。
因みに、彼の訳した「築城典型」は後に五稜郭建設の参考となりました。
33歳にて幕臣になり、34歳の時には歩兵頭並に。すっげぇ出世だよ。
明治には新政府軍と全面戦争になります。
宇都宮で土方さんが奮闘・負傷した際、彼は体調不良で不戦…おいっ!
常敗将軍と言われる(笑)彼、この頃は負けばっかりじゃないんですよ?この頃は。
北へと向かい蝦夷地へ渡った大鳥・土方隊。陸軍奉行に選出されます。
しかし明治二年、降伏。その後牢獄生活…なんですが、実はこの牢獄、大鳥さんが設計したんですよね(大爆笑)
明治5年、釈放。その後開拓使御用掛になり海外を飛び回ります。
いった場所書いてるときりがないのですっ飛ばし。
46歳のとき妻が死去。
その後は元老院になったり学習院学長を兼任したり。
そうなんですよ。学習院の3代目学長は大鳥さんなのです。
みんな、いろんな大学にいるんですねー。
すっごく関係ないけど、この大学は入試に「土方歳三」が回答の問題を出したことがあります。笑
1889年駐には清国特命全権公使に任命されます。
日清戦争開戦直前の外交交渉にあたったのは大鳥さん。
つまり、日清戦争のきっかけを作ったのは彼なんですよ。
びっくりですよね。
明治44年、79歳にてその生涯を閉じます。
★身長
意外(?)と身長の低かったらしい大鳥さん。
鋒鉾隊として函館戦争を戦った今井信郎は、大鳥さんのことを
「南京カボチャ並みに小さかった」
と言っています。
…なにそのものっすごく分かりにくい例え!!!笑
南京カボチャにどこがどう繋がるのか教えてほしい。
てかその前に南京カボチャって何??
大鳥さんがおじいさんになってからの証言では、
「丈低く、横に張りたる頑丈の、美髯の老翁」
なんてのもあります。
まぁこっちは歳が歳だから縮んだだけかもだけど。
★子沢山
28歳にて7つ年下のみちさんと結婚した大鳥さん。
29歳の5月には長女が生まれました。
うんうん、順調順調。笑
そして妻が亡くなるのが、大鳥さん46歳の時。
ついでに、戦争で函館に行ってから釈放されるまでが5年だから〜…
その間13年の間に、大鳥さんは妻に6人もの子供を生ませています。
大鳥さんも忙しい人だからずっと妻と一緒にいれたわけでもないでしょうに…すごいなぁ。
で、まだ続くんですが、その後結婚はしてない(?)んですが新しい女性との間に子供が4人!!
なんですか大鳥さん、てっきりただのヘタレかと思ってたのに…(以下略)
最後に子供が出来たのは大鳥さん70歳のとき!!!!
「70にして子を成した」
と自慢していたとか。面白すぎる。
★好きなもの
まず絶対はずせないのは読書。
いろんな人に言われてます、本が好きだったって。
インテリ鳥、素敵ですね。
まぁ、それは有名なんですが、次に食べ物の好みを。
大鳥さんの好物はカニ、海老、豆腐だそうです。
グルメを気取ってみた大鳥さん、特に神戸の豆腐はおいしいとか賞賛してみたり。
消化に悪いってのに、いつもこれらを酒の肴にしていたそうですよ。
そうそう、大鳥さんはかなり酒豪でお酒をよく飲んでます。
意外だなぁ〜、すぐ酔いそうだけど。笑
★しみったれ
質素倹約を心がけていた(?)大鳥さん。
「非常な勤倹主義の人であった為に、或る一部にはしみったれの如くに悪声を放たれて居た」
らしいです/笑。
そうか…しみったれとまで言われていたのか。
なんだか似合うと思ってしまうのは私だけ??…ではないはず。笑
★写真術
まだ写真の広まっていないこの時代。
薩摩藩に出入りしていた大鳥さん、翻訳をしている中に「写真術」に関するものがあったそうです。
それを翻訳しつつ実験してみた大鳥さん。
何度も失敗して、ついにあるとき鬼瓦を写すことに成功しました!!おめでとう。
そして藩主である島津斉彬に教えたところ喜ばれ、彼の娘天彰院の嫁入りの際、指導を薩摩藩士に施したそうです。
★大鳥活字
大鳥さんは明朝体に類似した漢字、平仮名、片仮名の活字を鋳造しています。
原本を翻訳して鋳造法を習得し、手製の金属活字を作成したわけです。
これが日本における初の金属活字となり、大鳥活字と称されています。
大鳥さんはそれを使って、沢山の兵学書を翻訳して発行したそうです。
しかし、牢獄に入った大鳥さんが尋問で
「今まで翻訳した書類などは、脱走したときに捨て置いたので、もうなくなっている」
と述べたように、現在確認できる大鳥活字は、印刷された本が僅かにある程度です。残念。