子供時代


3歳のときに漢字で「天下泰平」と書いたという大鳥さん!!ただものじゃありません;;

そんな彼ですが、育った環境はかなり田舎でした。

そして大鳥さん、意外とやんちゃな子供だったらしいですよ。

近所の野菜を抜いてしまったり柿を落としたり;;なんて迷惑な/笑。


それから、大鳥さんはおじいちゃん子でした。

祖父は学問、また詩歌にも優れていました。

大鳥さんはそんな祖父の影響を大きく受けて育ったのだといいます。

確かに大鳥さん漢詩や書画を残してますよね!!

獄中での日記になんて、毎日複数の句を書いてたしね。







貧乏@


当時医者という仕事は、死体などの悪いイメージから嫌われていました。

今みたいにお金持ちでもなかったんですね。

だから当時その身分の人達は藩校入ることはめったにありませんでした。


しかし大鳥さんは、どうしても祖父が学んだ閑谷学校で学びたいと言い出して、親を困らせついに入学してしまいます。

立派な医者になってくれることを望んだ両親。

その期待は大鳥さんが裏切ってしまうんですけどね;;(でも閑谷学校では医学を学んでます)

藩校ですから、武士の子が沢山。

席順も身分によって決められ、大鳥さんは廊下で授業を受けたこともあったとか。

でも勉強熱心な大鳥さんは、成績優秀でした。







貧乏A


20歳のとき、大鳥さん今度は蘭学を学ぶと言い出して緒方洪庵の適塾に入学。

しかしもちろんお金が全然ありません。

親に手紙を出してお金を送ってもらってることもありましたが、親だってそんなにお金は持ってません。

ていうか大鳥さんてば、親に「医学の勉強のため」とか嘘ついてお金を送ってもらってますよ。爆笑

そんな手紙まで貴重な史料とされて全国に広まっちゃうんだから、有名人は大変ですね。


やっぱりお金が無い大鳥さん。

そこで、彼はあんま(マッサージ)をやってお金を稼いでいたそうな。

このマッサージが相当うまかったらしい。笑

その他、彼はお金を稼ぐ手段として筆写もしていたそうです。すごいですね。







学生生活


大鳥さん、勉強一色な20代前半を過ごしたのかと思うと実は意外な趣味が。

それは演劇。

役者の真似をしてみたりとかしていたらしい。大爆笑!!!!

似・合・わ・な・い!!!←失礼

しかも、朝友達を起こすときにやってたらしいですよ彼。お茶目だなぁ〜

一度起こされてみたいもんです。







長屋が…


大鳥さん23歳、江戸で工学や兵学を学んでいた頃。

安政の大地震がおこります。住んでいた長屋が地震で潰れるという事件が!

しかし「なくすものが無いから怖くない」とのこと。

確かにこの頃貧乏きわまりなかったですからね;;

にしても不幸…そして強いなぁ。







母成峠


母成峠の戦いのときの話。

呼子笛の音が聞こえたもんだから、味方と思い出てみた大鳥隊。

案の定敵だったそうな。笑



あわてて林の中に逃げたものの、逃げるのに懸命だったもんだから誰も道を覚えていなかったそうです。

迷子ですか?迷子ですね。

因みにその2週間後彼らはまた迷子になります。

面白いなぁ。 部下は不安でたまらなかtったことでしょう。笑







死亡説?


会津戦争の頃の話。

その頃、大鳥さんが率いた隊はあまり力を振るえなかったらしいんですよ。

ええ、大鳥さんが率いていたからです。笑


そこで、旧幕府軍の中の大鳥さんへの非難の声は高まっていきます。

あーあ、かわいそうな鳥。



ところで、近藤さんと袂を分かった永倉さんは「靖兵隊」を立ち上げておりまして。

土方さんらとは別行動でありながらも、共に新政府軍と戦っていたんですね。


永倉さんが著書『新撰組顛末記』のなかで書いたことを紹介します。


あるとき、激戦がありまして、しばらくしてから大鳥総督が居ないことに気がつきました。

総督がいないんじゃたまらねぇってコトで皆で総督探しを行いますが、どこを探しても見つかりません。

きっと戦死してしまったんだろうと思っていると、次の日になってすまして山から総督登場。

きっとへらへらしてたんでしょうね…。

幕兵は怒って

「総督ともあろう者がけしからぬ、射ってしまえ!」

と騒ぎましたそうです。


大鳥さん…ぷぷぷ。ウケるよあんた!

射るって。。。ねぇ

まぁそんなわけでさすがの大鳥さんも色をなくして逃げたそうです。







もう1つの死亡説?


しかしながら、大鳥さんの死亡説は上のコレだけじゃないんですよ。

彼の日記「南柯紀行」で自分で書いてます笑。

時期が違うから別の一件なのでしょうが…また状況がそっくりで。

この一件とは違うのかなぁ〜;;


で、彼の日記からすると、永倉さんの話とは180度話が違います。

激戦で皆とはぐれた(?)大鳥さんは、翌日ひょっこりと姿を現します。

皆は食事をしていて、大鳥さんの姿をみてたいそう驚きます。

どうやら「大鳥総督は石筵山で戦死したと言う事が言い触らされていた」らしいんです。

兵士達は、「士官、兵士も皆力を落として当惑していたが、はからずも君の顔を見て夢の心地がする」と言うんですよ。

みな喜んで、大鳥さんが死を逃れた事を祝い、大鳥さんも皆の無事を見て手を握って感泣した、らしい…


なんだこの感動話…笑。

しかも自分で書いてるとこが怪しい;;


これ、8月の母成峠の話。

永倉さんのは5月の鍋島の戦い。

大鳥さん、3ヶ月で2回も死亡説でてるよ??笑

しかも展開があまりに違う…

私は、永倉さんが書いたのが晩年だから、月を間違えていて、これ同じエピソードなんじゃないかなぁ、と思うんですが…

本当はどうなんでしょうか??