一筆啓上つかまつり候。
雨天の節に御座候得共、揃われてご安泰、賀し奉り候。
しからば土方隊長御義、江戸脱走のとき伝習第一大隊を率い野州宇都宮に戦われ、
この後戦のとき手負い、会津でご養生ご全快、同所東方面を司られ後、同所瓦解のとき入城なりかね仙台に落ち、同所大君お逢いこれあり、説刀を贈られ、奥州福島へご出張のはず、また同所国論生通にて止む。
辰十月、榎本和泉殿と誓い蝦夷に渡られ、陸軍奉行並海陸裁判を司られ後、巳の四月、瓦解のとき二股という処に出張、大勝利。
そのほか数度戦い、松前表街ついに利なくしてついに引き揚げ、同五月十一日函館瓦解のとき、町はずれ一本木関門にて諸兵隊を指揮遊ばされ、ついに同処にて討死せられ、誠にもって残念至極に存じ奉り候。
拙者義いまだ無事、何の面目やあるべく候。今日至り候よう篭城に軍議あい定まり、いずれも討死の覚悟に御座候。
ついては立川主税義、終始付き添いおり候間、城内を密かに出してその御宅へ右の条々委細お物語いたし候よういたしたき存念に御座候。
いずれその御宅へまかりいで候間、さようご承知くださるべく候。
右は城中切迫に取り紛れ、乱筆ご容赦くださるべく候。
まずはお知らせのみ、別に貴意を得、かくのごとくに御座候。恐惶謹言。
五月十二日
安富才助 正義(花押)
土方隼人様
なおもって、おりがらご自愛お厭い、かつお目に係り申さず候得共、ご総客様方へよろしくご伝言くださるべく候。
隊長討死せられければ
早き瀬に力
足らぬか
下り鮎
」