相馬主計
もう皆さん知ってると思いますが、主計は「かずえ」と読みますよ!
誕生日
天保6年⇒1835年
天保14年⇒1843年 どっちかはっきりしてません
常陸笠間藩出身。現在の茨城県ですね。
さて、相馬さんが新撰組に入隊したのは慶応3年10月。
京都での最後の新撰組入隊者グループの一人ですね。
局長附人数、と島田さんの英名録では記されてますが、実際の名簿にはその名前はありません。
謎ですね。
流山にて近藤さんが捉えられた後、土方さんと共に(もう一人いますが)勝海舟と大久保一翁を訪ねています。
助命嘆願のためです。
勝海舟は土方さんと話しをして助命嘆願のための手紙を書くことを約束します。
余談ですが、このとき彼は土方さんに何かを交換条件にしたらしいですが何なのかは不明。気になる…
で、翌日相馬さんは勝の部下である松濤権之丞からの手紙を持って板橋宿へと向かうんですね。
しかし、面会することもできずに捉えられてしまいます。切ないなぁ;;
近藤さんの処刑後、釈放されるのですが、このとき一緒だったのが、近藤さんに付き添って板橋まで来て捉えられた野村利三郎(大好きvV)。
二人は共に陸軍隊に加わって戦います。そして仙台(たぶん;;)にて土方さんたちと無事合流。北へと向かいます。
1869年3月25日の宮古湾海戦。
野村さんが戦死し、この戦いで相馬さんも負傷してしまいます。
負傷した相馬を、野村が助けた、という記載も残ってます。
だけど、相馬はおそらく回天の上(飛び降りたって書かれてないし)で、野村は甲鉄に飛び降りてますが…
どうなんでしょうか???
そのため、その後は函館市中警備の任についています。
そして。
弁天台場が落ちた後、相馬は新撰組隊長として降伏勧告を受け入れました。
相馬さんといえば、やっぱ「最後の隊長」で有名ですよね。なんで彼が隊長になったんでしょうね??
隊長であるからには責任は大きいです。
大鳥・榎本・永井・松平さん達と同格として東京の牢屋送り。大鳥さんが作ったやつ/笑。
明治3年には新島に流され、ここで妻マツさんと結婚。おめでとう。
明治5年には放免。
島では民に読み書きを教えていたそうです。
釈放後は東京へ戻ります。
その後、自刃したとも殺害されたとも言われていますがはっきりとは分かっていません。
そんな相馬さんについて、もっと知りたい??
☆温和で真面目な性格だったそう。
☆降伏後は、帯刀が許されなかったので、いつも扇をさしていたらしい。
☆ある日、マツが外出先から帰宅すると、相馬さんは障子を赤く染めて割腹していた。