土方歳三を打ったのは味方か!?



よく言われますよね。

「土方歳三を狙撃したのは旧幕府軍の者である」とか。

しかも「大鳥圭介の息のかかったものだった」なんて話も/驚。


この説についてはどうでしょう??反論を出すにはどうしたらよいのでしょうか??

お話を聞いてきたので記載します。

尚、以下は勿論真実とは限らず、単なる推論であることを承知の上お読みくださいね!




まず、この説の根拠となるもの。それは「狙撃位置」です。

戦闘があった際、函館側で激戦が起こっていたことから、土方さんは函館方面から攻めた新政府軍のみと戦っていたように思われがちです。

しかし、土方さんが狙撃されたのは函館とは逆方面から飛んできたことから、身内説が強まっています。





さて。実際はどうでしょうか?

新撰組立川主税は「七重浜からの砲撃」と記しています。

このとき、忘れていけないのは七重浜に新政府軍がいたことです。

土方さんは七重浜から攻めてきたほうの新政府に撃たれた可能性が高いのではないでしょうか??

だとしたら、身内でなくとも有り得る話ですよね。



つまりは、そのとき七重浜方面の敵と戦っていたわけではないのですが、流れ弾、あるいは遠くからの狙撃によって、撃たれた、というわけです。



といっても私個人は身内説を否定しません。それも有り得るなーくらいに思ってます。

悲しいですけどね;;

できたら希望として、上の七重浜説をおします。希望ですよ、希望。








首なし遺体は土方さん??



土方歳三は戦死の際首と胴が離されていた」って話があるのですが。

この話について、詳しく聞いてきたので記載しておきます。

以下に記すことは決して真実と言い切れることではなく、推論に過ぎないことを十分承知してからお読みになってくださいね!




この話の出所は、松前藩士である米田幸治という人です。

彼は「土方歳三を狙撃した」と告白した方なのですが、彼が言うには「狙撃した人物を後見てみると、首が無く、陣羽織には土方歳三と書いてあった」とおっしゃっています。

なのですが。

米田さんは函館側から一本木に攻めた隊の者であります。

しかし土方さんの狙撃は函館側から撃たれたものではないんですよね。

土方さんはまったく逆方向から飛んできた弾に当たって亡くなっています。

なので、米田さんの狙撃した人物は別人で、時が経つにつれその人物が「土方歳三」と変わってしまったのではないか。という見方が出来るそうです。

要は、土方さんは米田さんには撃たれていない、と。


また、土方さんの戦死した時刻、主戦は函館側で起こっていました。つまり一本木関門は激戦ではなかったんです。

普通「首を切る」というのは激戦の際に身体を運べないからせめて首だけでも、という考えで行う行為です。

また、土方さんの戦死資料にはどれも「遺体は」という形で書かれています。


これらのことから、土方さんの首と胴は切り離されてはいないのではないでしょうか??

真実は分かりませんけどね。