永井尚志
誕生日
文化13年11月3日⇒1816年
尚志はなおゆきと読みます。
25歳の時に旗本である永井家の養子になり目付や種々の奉行に就任して、1862年に京都東町奉行になります。
新撰組との関連性は何かというと、まず彼の職務期間中に壬生浪士組が結成されたこと。
彼の役宅は壬生なので屯所のすぐそば。新撰組は永井さんを尊敬していたようで、忠実に仕えています。
近藤さんは、征長の方針から長州への使節としての同行を願い出でました。
永井さんはそれを許可し、近藤さん他数名は「給人」格として同行しています。
永井直属の「附属物見」として、観察方の吉村貫一郎や島田魁は長州に残り、長州偵察の任務を果たしたり。
また、新撰組は永井さんに対して忠実であり、時には自主的にボディーガードを買って出たりなんかもしてます。
鳥羽伏見の戦い以降も、永井さんは旧幕府軍として戦います。仙台にて新撰組と合流を果たします。
その後、函館新政府において、永井さんは函館奉行に就任。
〇〇奉行の多い人ですね/笑。永井さんは最後まで新撰組と共に弁天台場で戦っていたといいます。
しかし敵の手に落ち降伏。新政府軍に投降、彼はこのとき54歳だったそうです。
その後1891年その生涯を閉じます。
よく知らない人なんで突っ込みどころが…笑