土方歳三の埋葬地を追う
現在でも分かっていない土方さんの埋葬場所。
そこで、今ある説を一通り取り上げてみました。
●碧血碑説
土方家の親戚の人が、明治25年歳三さんの戦死状況の調査を依頼した結果報告書があります。
その結果に、こんなことが書かれています。
「七重村の閻魔堂で宝物のように大切にしている。その後火葬し碧血碑に収めた」
しかしながら真偽のほどは疑わしいらしいですね〜、他の部分を読むと矛盾点が多すぎるようです。
…というか、だいいち七重村に閻魔堂はありません/笑。
碧血碑とは、戊辰戦争旧幕府軍戦死者の慰霊碑。
慰霊碑に書かれた文字は大鳥圭介(土方さんと喧嘩のたえなかった面白い人/笑)のものとされるそうです。
●閻魔堂説
碧血碑で紹介した報告書には、閻魔堂から移したって書いてありましたが、実は碧血碑には移してないんじゃないかってやつです。
で、七重村に閻魔堂はないって言いましたが、そこではなく七重浜近くになら閻魔堂があるので、たぶんそこじゃないかと言われています。
島田魁らは土方さんの遺体を亀田七重の念仏堂の縁の下に隠し、のちに改葬したとされてます。
でもこの説もはっきりしてなくて信憑性は薄いとのこと。
島田達は新選組の生き残りとして、土方さんを埋めるとかそれどころではなかったでしょうしね…
●大円寺説
土方さんの馬丁をしていた吉田松四郎が、遺体を五稜郭に運んだ後大円寺の二本松の下に埋葬した、って話です。
昭和63年に刊行された『それからの土方歳三・蝦夷の花道』で紹介されました。
史料にゎ土方サンの埋葬をした人として島田や尾関の名がみられますが、弁天台場に籠城中だった彼らが何故ここに??とか疑問は多く、また別の資料では吉田さんは埋葬地について他言しなぃように念を押されてたりしていて意味がゎかりません;;
だったらなんでこんな話が残ってるんだ?ってね。
というわけで現在では『蝦夷の花道』は小説であるという扱いをされています。
閻魔堂説でもそうでしたけど、何故島田が・・・??
●願乗寺説←おすすめ??
埋葬地は五稜郭、その後願乗寺に移されたという説。
埋葬地についてはほぼ五稜郭説が信憑性アリ。
…といっても五稜郭は広いですからね、そう簡単に見つかるもんじゃありません;;
五稜郭にある土饅頭をご存知ですか?
『五稜郭史』という記録の中に、土饅頭に榎本軍の戦死者を埋葬したと書いてあります。
そして、そのメンバーの中に伊庭八郎がいるんですよ。
伊庭八郎の埋葬地については、大正時代に確認されているそうです。
実際誰かが見たわけでは無いので違う可能性も少しはありますが。
で、その伊庭八郎が重要なポイントになるんです。
明治32年、「伊庭八郎を偲ぶ会」が開かれました(いいなぁ〜vV笑)
そのなかで、出席者の@人がこんなことを言ってるんです。
『八郎君の墓は函館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らに在り』
うきゃ〜vVうらやましいよ伊庭ハチ!!
とまぁ、出席者には伊庭さんの弟、彼の最期を看取った荒井鎌吉や函館戦争で戦ったメンバー(松平太郎とか)がいるので、それらの人が異議なしだったってことは信憑性はかなりありです。
しかし、今も土饅頭にあるかと思うとそうじゃないんですね〜。
大正時代に一度土饅頭に調査が入っています。
しかし発掘の結果、何もなし…とのこと;;
何故っ!?
なぜ土饅頭には何も入ってなかったんでしょう?
実は大正時代の調査が入る前に、こんなことがあったんです。
明治11年、五稜郭の修復工事を行った際、土塁の傍から沢山の遺体が発見されたんだそうです。
そしてそれらの遺体は願乗寺に移動されました。
願乗寺とは今の本願寺函館別院のこと。
…つーまーりー、その遺体のうちの一つが土方さんだとしたら、彼は今願乗寺で眠っているってことですか?
その願乗寺に移された遺体は、明治16年には”高等の位地”に改葬したとあります。
これはたぶん願乗寺敷地内の高い位地って意味ととられているそうな。
しかしながらその後願乗寺ゎ幾度か火事にあい、合葬碑は見つかっていません。残念(>_<)
ていうか、西本願寺函館別院行ってきましたが、全くわかりませんでした。爆。
でも一番信憑性ありそうじゃないですか?
ただ、大正時代にどうやって伊庭さんの埋葬地を確認したかが疑問なんですが;;
だって明治には動かされちゃってるんですよ??
誰かからの話や資料によって分かったんだとしたら話はわかりますよね!!
●土饅頭説
先ほど、土饅頭を堀返して何も出てこなかった。と申しましたが;;
こんな説もあるんです。
まず確認しておきたいのが伊庭八郎の埋葬地。これはほぼ土饅頭の付近で確定されました。で、土方さんはその隣だ、と。
ここで明治時代に掘り起こされたという話。
沢山の遺体が確認されたとのことですが、これは「五稜郭内の土塁」であってどこだかわかってはいないんですよ。
例えば、春日さんが埋葬された場所は伊庭さんの埋葬された場所とは少し離れています。
つまり一箇所にまとまっていたわけではないんですね。
ここで一つの仮説が生まれます。「土方や伊庭が埋葬されたとされる土饅頭は掘り起こされてはいないのでは??」といったもの。
でも大正時代には土饅頭の中身
が空っぽだったって話じゃ…?って思うんですが、例えば埋められたのが土饅頭の真下ではなかった可能性。
大正時代の函館新聞には「土饅頭の下」を掘ったとあるんですよ。
もし「あのあたり」というだけで真下でなかった場合、土方さんと伊庭さんの遺体はまだ五稜郭にある可能性もあるわけです。
願乗寺説、土饅頭説をまとめると、こうなります。
もし、彼の遺体が五稜郭から掘り起こされたメンバーの中に入っていたなら願乗寺に。
そうでなければ、今でも遺体は五稜郭内に???
さぁ、ややこしくなってきましたね。
一体どこに眠っているんでしょうかね??皆さん、どう思いますか??