函館の人気者

函館新政府を樹立した榎本さん達でしたが、お金がありませんでした。

戦いが激しくなる一方軍資金は無くなっていきます。

旧幕府軍は函館の市民から通行税や運上税をかけることで何とか持たせていました。


しかし貧乏は辛い!


榎本武揚は軍議にて金持ちの商家から金を徴収したり、もっと地元民から税をとろうと提案します。

参加していた皆も仕方の無いことだと賛成し…

が!!!!!

男土方、異議アリ!!!

今までも税をとってただでさえ大変なのに、いつまでもつか分からない政府のためにこれ以上金を巻き上げるとは何事だ!!

というような事を言って反対したんだそうです。

こうして徴収は中止、結局政府は大きな娼館や博打場からの税金で財政を立てました。


このことを知った(どうやって??)市民や商家の人々は土方さんに惚れこむわけですよ。

土方さんの死を悼んで、称名寺に供養碑を建てたんです。いい人たち。

称名寺の供養碑は残念ながら明治期の火事で現存しません。

現在ある新選組供養碑は昭和47年に建てられたもの。







尺八

五稜郭には菊池平右衛門さん(五稜郭へ木炭を納品してた人)という尺八名人がいました。

土方サンは戦火が激しくなる前、その菊池さんに尺八の吹き方を教えてもらったんだそうな。

なんか笑えますね。

で、土方さんは城内で尺八を吹いてみました。

すると、その音を聞いた同輩が「お主、尺まで無いな」と笑ったんです!!

どういう意味かといいますと「お前、尺八下手だな〜」て言われたわけですよ←大爆笑 。


何やっても最高だよ陸軍奉行並。

なんで尺八なんか教わってんですか!?そして同輩って誰ですか!?


そして話はまだ続きます。

尺八を返すとき、土方サンは菊池さんを呼び出して

お主の名は菊池だ。俺は京都ではキ印と言われてた

と、独り言を言いながら、小柄で尺八にキクチと刻んで返したらしぃです。

因みにキ印とはきちがい、狂人の意味。……笑!!!

まあ、確かに狂人ですけどね。笑

しかも人の尺八彫るなよ。笑







二股口の戦い

明治2年4月のこと。新政府軍と戦いが起こりました。

このとき、土方隊は要所二股口の守備にあたります。


土方隊は壕を堀り胸壁を築き、三週間もの間、交代制で敵と対峙しました。

その結果、各地で敗走する旧幕府軍の中で唯一勝利します。

結局は周りが全て負けてしまったので退路を断たれることになり、やむを得ず撤退するんですがね。涙

土方隊が勝利を収めた日、土方さんは隊士一人一人に自ら酒を注ぎ、ねぎらいの言葉をかけたそうです。


このエピソードはよく小説なんかでも見かけますよね。







すまぬ

土方さんは、一本木関門にて腹部に銃弾を受けました。

以下は、函館に残るその後の逸話です。

土方さんが撃たれたとき、その場にいた新選組隊士は沢忠助、安富才輔、立川主税です。

安富さんは土方戦死被弾を知らせに戻ったんですが、沢さんらは馬から落ちた土方さんを近くの農家へ運んで手当てをしていたそうです。

土方さんは息を引き取るとき、ただ一言「すまぬ」と言って逝ったとのことです。

どういう気持ちで言ったんでしょうね。

いろんな意見があるところと思いますが、この話が本当だったとしたら切なすぎますよね。







戒名

土方さんは函館の人々から人気がありました。

彼が亡くなった後も函館の人々は土方さんの法事を行ったり、なんと戒名までつけてくれたんです。

「歳進院殿誠山義豊大居士」がそれ。


その他戒名は

実行寺「有統院殿鉄心日現居士」

能量寺「広長院釈義操」。







辞世の句

まず一般的に有名なのがまず一般的に有名なのが

「よしや身は 蝦夷が島根に朽ちるとも 魂は東の 君やまもらむ」

ですね。

これは明治7年に小島守政が出した「両雄逸事」に土方歳三の句として載っています。


もう一つ似たような句

「たとひ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の 君やまもらん」


これは明治26年「慎斎私言」

や明治30年「両雄士伝補遺」に伝えられているもの。

小姓市村が日野に土方さんの遺品を届けたときに一緒に託されたそうですが現存はしてません。


どうやら年を経て変化してしまったようですが…

さて正しいのはどっち??

ていうかよくごちゃ混ぜになってますけどね。





北海道に残る辞世の句

北海道では違った辞世の句が残っています。

土方さんが亡くなったとき、腰に巻いていた白い布に俳句がかかれていたんだそうです。

「叩かれて 音の響きし なず菜かな」

う〜ん…腰に巻いていたってのは事実では無い気もしてしまうんですが、本当だったらめちゃめちゃ格好いい!

俳句自体は、「たとひ〜」より土方さんっぽいですよね?笑。私は好きだなぁ。

土方さんナズナをぺんぺんやったのかな??可愛すぎじゃないですか。


もう一つ、土方歳三戦死を告げた手紙の最後に書き記された句。

「速き瀬に 力足らぬか 下り鮎」

こちらは「辞世の句」説と「安富才輔が土方さんのことを詠んだ句」説があります。

後者の安富さんは歳三戦死の手紙を書いた本人。その手紙にこの句が記されているわけです。

私は後者かなぁって思うんですがね。

でも、とっても綺麗な句ですよね。