榎本武揚と電信機
榎本さんは、オランダに留学していたとき、これからの日本でも電信機が必要になるだろうと考えました。
そこで早速、2台のモールス印字電信機(フランスのディニェ社製)を購入し、帰国の際に持ち帰ったそうです。
しかし帰国してみればそれどころではなく…。
榎本さんは函館戦争の間、一台は開陽丸に、もう一台は函館運上所に保管しておきました。
残念ながら一台は、開陽の沈没と共に海の中へ…。
その後、明治政府として成功した榎本さんは電気機械関係においても活躍しています。
初代の逓信大臣(交通・通信・電気を幅広く所管する官庁の大臣)にもなっています。
その他電気学会(なんだそりゃ?)の会長にも。
あらゆる面で活躍してるのですね、榎本さん。
いろんな場面すぎるからあまり知られてないんじゃ…笑
榎本と土方の出合い編♪
鳥羽伏見の戦いの後、大坂上へ行った新選組。
そこで榎本さんと土方さんは出会った、というのが今までの通説でした。
しかし、どうやら最近発見され平家(土方さんの親戚)の史料によると
「大坂城へ入る前の日、八軒家へ向かう舟の中で懇意になった。」
とあるそうです。
これは、平家の方が榎本さんに面会したときに、榎本さんが語ったということでした。
やっぱり、二人は仲良かったんですかね!
なんか、いろんな話ありますもんね。
土方さんを総督に推薦するとか、土方さんが戦死したとき逆上して自ら出陣しようとしたとか、土方さんは清清しい風だとか。
榎本さんありがとう。笑
江戸無血開城条件
「軍艦残らず相渡すべき事、軍器一切相渡すべき事」
というのが江戸城無血開城の条件でした。
しかし榎本さんはは引き渡しに同意しませんでした。
彼は、孟春艦長(官軍)中牟田倉之助(長崎以来の学友)に、
「全部差し出すのはイヤです」
「江戸城は徳川家存続の者に継がせてください」
ってな願書も提出しています。
むしろ最初は榎本さんは軍艦引渡しなんてとんでもない!って感じだったんですがね。
勝海舟の説得により、断念。
勝海舟は、榎本さんの意見を組み入れ、西郷に会って話を付けたわけです。
よって、軍艦八隻のうち三隻を、榎本は手離さずにすんたのでした。
幕鑑翔鶴丸を引き渡したとき、中牟田さんが指揮をとり、船を動かしました。
榎本さんは
「さすがは御藩ですね。早く運転が出来ました」
と嬉しそうだったそうです。
中牟田さんの手記には
「私達はお互いを見合って笑った。品川海には鴎が静かに飛んでいた。
ああ、次の年の初夏には、北海道の波を驚かせ、再び私達は砲火の間に再会することになろうとは、知るはずもない」
とあります。
玉虫左太夫
仙台藩の玉虫左太夫という人物は、榎本さんが仙台藩に説得にきたとき、彼と共に蝦夷へ渡ると決めました。
玉虫さんは、気仙沼に製塩所を持っていたので、先に気仙沼に行き、これを軍艦に乗せ、一緒に行くことにします。
しかし、榎本の船は、予定の日に気仙沼に着かなかったのです。
一向に姿を見せない開陽丸。
人に話を聞くと、官軍の追撃が急であるので、気仙沼には立ち寄らないようだ、といいました。
玉虫はそれを聞き、そうだと信じ込んで、処刑されるべく仙台へ戻ったといいます。
彼は、明治2年4月9日切腹しました。
しかし。その町の人の話は、でたらめだったのです。
不運にも、開陽丸は遅れてしまい、榎本さんが気仙沼に着いたのは、次の日でした。
なんとも悲しい結末になってしまったのですね。
函館の地理関係
函館戦争の時、上陸・上陸後の指示を出した榎本さん。
このとき鷲ノ木へ兵を上陸させ、本道と間道の二手に分かれて進ませましたよね。
あるいは、松前を攻めた際に、吉岡峠の敵を討つために間道へ兵を送ったことなど。
これらの指示について、榎本さんは「これは蝦夷の地理を知っていたからである。」と述べています。
彼がここの地理を知っていたのは、ペリーが日本へ来た頃、榎本さんは函館にいたのですが。
「そこの船問屋佐藤軍兵衛という者から地図をもらっていたためである。」と言っています。
良かったですよね〜、こういう、函館について知っている人がいてくれて。
みなさーん、今手元にあるものはいずれ役に立つかもしれませんよ〜〜。笑
どうしても残したかったもの
函館戦争も勝敗が決定し、毎日のようにくる投降勧告。
その拒絶書に、榎本さんからの追伸があります。
別本二冊、釜次郎オランダ留学中、苦学致し候海律、皇国無二の書に候へば、兵火に付し、烏有と相なり(紛失してしまう)候段痛惜致候間、「ドクトル」より海軍「アドミラル」へ御贈りくださるべく候。
と、自分の命よりも、海律が紛失することを恐れ、黒田参謀に差し出したのです。
海律とは万国海律全書のこと。
これに対して黒田参謀は、
本邦無二の宝書烏有に帰するを惜しんで寄贈す。かたじけなく厚意を謝す。
と感動しています。
そして、このあと、五稜郭に立てこもる榎本さんたちに、酒を送るのです。
この書は、フランスのオルトランという人物がかいたものを、フレデリックスがオランダ語に訳し、榎本に渡したものだそうです。