土方歳三の足跡を辿る
とりあえず、細かいのはまた後でやるとして、とりあえず史跡一覧を。
■鷲ノ木浜
所在地:北海道茅部郡森町鷲ノ木町
行き方:JR森駅からバスで、鷲ノ木下車徒歩15分
土方歳三さんの蝦夷第一歩の地。
勿論、他の方々もそうですけどね。笑
ここには「旧幕府軍土方歳三・榎本武揚上陸地点」があります。
たしか、榎本さんは上陸してないんじゃないかなぁ;;
1868年10月12日、榎本武揚以下大勢の旧幕府艦隊は仙台折浜を出航、22日にこの地に上陸しました(到着したのは2日前だそうです)。
ここに上陸した土方さんの心境は、どんなものだったんでしょうね。
☆鷲ノ木史跡公園
所在地:鷲ノ木町168
ここには「箱舘戦争榎本軍上陸地跡碑」「函館戦争鷲ノ木戦没者之碑」があります。
資料館もあるそうで、函館戦争関係の資料が展示されているようです。
■川汲温泉
所在地:北海道茅部郡南茅部町川汲2019
行き方:JR函館駅からバスで、川汲温泉下車すぐ
ここは、土方さん達が上陸後五稜郭を目指したルートの一部です。
川汲峠では松前藩とちょっとした戦闘がありましたが、大事にはなりませんでした。
雪がすごくて、凍死してしまいそうな道を進む土方隊。
この日はここに泊まって、湯に浸かったといいます。
私も詳しいことはわからないのですが、聞いた話によると、旧道を行った山頂にある台場跡。
これは土方さんが、明治2年に明治新政府軍の来襲に備えて作ったと言われているそうです。
■函館五稜郭
所在地:北海道函館市五稜郭町44
行き方:JR函館駅から市電で、五稜郭公園前下車徒歩12分
日本初の本格的洋式城郭。
まぁ。ここの説明は今更するまでもないですね;;
2006年4月にオープンした新・五稜郭タワーからは、五稜郭の星型が綺麗に見えるようになっています。
この地に、土方さんや伊庭さんはまだ眠っている、という有力説アリ。
土饅頭にもご注目!
☆市立函館博物館五稜郭分館
所在地:五稜郭内
ここには、函館戦争や五稜郭に関する展示が沢山あります。
なんと!珍しいことに伊庭さんのコーナーもあるんですよ!!(迷子札とかあります)
ここでは貴重な資料も販売していて、特に「五稜郭・函館戦争」は、この博物館の展示物の写真などがありオススメですよ。
☆箱舘戦争供養塔
所在地:五稜郭タワー向かい
5月11日には、毎年この供養塔の前で供養祭が行われています。
■松前福山城址
所在地:北海道松前郡松前町字松城
行き方:JR木古内駅からバスで、松城下車徒歩7分
ここについても、詳しい説明は函館戦争講座で読んでみて下さい。
土方さんの奇策で落城させたこの地を、平定後は松前守備として伊庭さんらが守っていました。
ははは、聖地ですね。笑
ここは、日本最北端の和式築城なんだそうで!
■法華寺
所在地:北海道松前郡松前町字豊岡258
行き方:JR木古内駅からバスで、松城下車徒歩10分
ここは、松前城が見渡せる敷地があります。
土方隊はここに大砲を設けて、城に向かって発砲しました。
ここでの戦闘では両軍に多くの死者が出ています。
敷地内には、新選組隊士の墓、彰義隊士の墓碑、陸軍隊士の墓碑があります。
■江差 開陽丸
所在地:北海道檜山郡江差町字姥神町1-10
行き方:JR江差駅下車徒歩15分
開陽丸は、1860年に幕府の依頼で作られた、オランダ製の最新鋭艦。大砲は35門ですって!!すごいわぁ〜
沈没したのは1868年11月25日のことでした。
現在、開陽丸青少年センターでは、開陽丸が復元され、中を見学することが出来ます。
海底から引き上げられたものが展示してあったり。
☆土方歳三嘆きの松
所在地:江差町中歌町112
行き方:JR江差駅下車徒歩20分
爾志郡役所前の一本の松の木。
開陽丸座礁を知った土方さんが、ここで松を叩きながら男泣きした…らしい。
うーん、胡散臭い…笑。でも、せっかくなのでどうぞ♪
☆開陽丸終焉之地碑
所在地:江差町中歌町193
行き方:JR江差駅下車徒歩25分
ここは、開陽丸の推定沈没地点。
碑文には「この沖合北200メートルに座礁」という文字が。
■鍬ヶ崎港
所在地:岩手県宮古市鍬ヶ崎
行き方:JR宮古駅からバスで、鍬ヶ崎下車徒歩3分
宮古湾海戦が行われた場所です。
北海道じゃないんで、間違えて北海道の旅行プランに入れちゃ駄目ですよ〜笑
宮古湾海戦についての内容を知りたい方は、函館戦争講座をご覧下さい。
■臼木山
所在地:岩手県宮古市日立浜町
行き方:JR宮古駅からバスで、浄土ヶ浜下車徒歩10分
この山の高台に「宮古湾海戦」の碑がたっています。
開戦130周年を記念して平成11年に立てられたものだそうです。
土方さんの写真がありますよ〜
■二股口古戦場跡
所在地:北海道亀田郡大野町字中山
行き方:JR函館駅または江差駅からバスで、石川沢下車徒歩30分←ひええ!!
かなり交通が不便で、マイナーな場所です。
何もないです。笑。でも、土方ファンにとったらたまらない場所ですよね。
明治2年4月12日、土方隊は沢山の胸壁を築き、ここに陣をはりました。
その胸壁は今でも残っています。
ご存知土方不敗伝説の場所ですね。
ここに行くなら、江差ついでとかのほうがいいかも?
江差も、かなり不便な場所にありますからね。
どうせ行くなら一緒に行っちゃうほうがお勧め、だそうです。
☆焔硝倉の沢
所在地:大野町字村山
行き方:二股口同じ
1868年の冬に、額兵隊星恂太郎らが築いた火薬庫。
付近の峰には、数十個の散兵壕、沢には方形台場が残るそうです。
…が。道も整備されていないうえ、なんと「熊に注意」とのこと。
軽い気持ちで行くな、ということでしょうか…苦笑
■丁サ
所在地:北海道函館市大野町(民家になっていますので、住所は伏せますね)
行き方:JR函館駅から市電で、末広町下車、徒歩○分
こういうのって、どこまで載せていいものなんでしょうかね?
丁サというのは、土方さんが箱舘戦争の間、拠点としていた場所です。
土方さんがここに滞在していたことは、史料などからも分かります。
(桑名藩家老の酒井孫八郎さんは、この丁サに土方さんを訪ねています。うーん、羨ましい!!)
この丁サというのは、箱館商人 佐藤専左衛門さんの店だとか。
なんでここに住んでたのかは謎ですが、こっちこそ羨ましいなぁ〜。住んでたんですよ?
ひとつ屋根の下ですよ…??あああああ(乱心)
詳しく場所など知りたい、という方は、直接メールボックスからみつにメール下さい。
もしかしたら、他のサイトさんなんかでは場所示してあったりするのかな?
■土方歳三最期の地碑
所在地:北海道函館市若松町33-6
行き方:JR函館駅より徒歩15分
土方さんの戦死地は諸説ありますが、一番有力なのがここ、一本木関門。
…といっても、ここに実際関門があったわけではありません。
実際の一本木、つまり土方さんの戦死地はもっと国道側にあるんですが、今はまぁ置いておいて。
遺体もない、戦死地もはっきりしない、直接的な死亡要因もはっきりしない、と、謎に包まれた土方さんの最期。
しかし、この地碑には多くの人が訪れ、献花の絶えない場所となっています。
函館に行かれた際には、是非ここでお参りをして来て下さい。
■弁天台場跡
所在地:北海道函館市船見町18
行き方:JR函館駅からバスで、称名寺通下車徒歩3分
現在は昭和47年に作られた土方歳三・新選組隊士の供養碑があります。
しかし、火事により焼失。もともとはこの地にあったわけではないのですが、明治14年にここに移転されたということです。
火事によって焼失してしまったものの中に、土方歳三の供養碑があります。
それは、土方さんが函館市民からの税の取立てに反対したことを知った函館商家の人々が、彼の死を悼んで作ったものだそうです。
■碧血碑
所在地:北海道函館市谷地頭町1
行き方:JR函館駅から市電で、谷地頭下車徒歩15分
「義に殉じて流す武人の血は、3年たつと碧くなる」という中国故事が碑名となっています。
函館戦争で戦死した旧幕府軍の兵士を供養するために立てられたもの。
諸説ありますが、称名寺、実行寺、浄玄寺に埋葬された兵士達は、明治4年谷地頭に合同改装された、と言われています。
明治8年、榎本さんや大鳥さんによって、戦没者慰霊のためにこの碑が立てられました。
碑に書かれた「碧血碑」の文字は大鳥さんが書いたと伝わっています。
やはり、俗軍となった身ですから、この碑を建てるのには相当苦労したようです。
こんな山奥に建てられたのもそのせいです。
でも、だからこそここは当時の雰囲気がそのまま残っています。ひっそりしていて、感慨深いものがありますよ。
実は、管理人の一番好きな場所だったりします。
■函館山(おまけ)
函館市の位置関係(五稜郭、弁天台場、丁サ、七重浜など)を見るなら、函館山に登ってみてください。
実際にその風景を見ることで、かなり実感がわくと思いますよ♪♪
大人数なら、ロープーウェイよりタクシーのほうが安いです。
バスもありますよ。
■西本願寺函館別院
所在地:函館市東川町12-12
行き方:JR函館駅から市電で、十字街下車徒歩5分
おまけ的なものを。
何もありませんが、私が支持している土方さんの埋葬地です。
当時は願乗寺というお寺でした。
この説については、土方歳三ページに載せてあります。興味がある方はご覧下さい。
でも、あくまでも説のうちの一つなので、もしかしたら土方さんとは何の関係も無いかも知れません。
↑でも、遺体が移されたって記録が願乗寺にあるので、誰かしらの遺体は埋まってると思います。